更生

10秒ドローイング
10秒ドローイング1

仕事を最後にした日から二週間あまりが立ってようやく更生の緒が見えた、ような気がする。
そもそも未来を予測することなんて不可能なんだから、4ヶ月後は就職につけているだろうか?とか、この会社を応募しようと思うけど自分の実力じゃあ叶わない、とか。結局不安になったところで、自分の行動を抑止してしまう自分がいつも邪魔をしてくるので、失敗したく無い!という気持ちが強いあまり行動できなくなってしまう事を認知する事。

この認知した後にこのままではいけない…何とかしなければ…と焦りを覚えてしまいますが、焦れば焦るほど状況は悪化して行きます。

例えば出勤時間ギリギリに起きて、もう遅刻する!と急いで車に乗り走らせましたが、生憎の渋滞で、お手上げ状態。そんな時に冷静に会社に連絡をすることができればいいのですが、その反面怒られるのが怖いと思い電話するのも億劫になる気持ちは誰だって当てはまります。

間に合っていれば怒られる事なんてないのに…どうして今日に限って渋滞なんだよう!と怒鳴り散らしアクセルを踏む力はどんどん強くなっていき最終的に大きな事故につながってしまったら、もとも子もありません。間に合いたい、少しでも可能性を信じて車を走らせる。そう、可能性を信じる。

この可能性を信じて車を走らせる事の何が悪いのか、それは素直に出来ない事を出来る!と自然に肯定している自分がいるせいなのです。出来ない事を素直に受け入れその上でどのように行動すれば過ちを逃れらるか。「自己受容」は現実を受け止め次に失敗しないようにするために行動を改め、それを繰り返して行く事で前の自分より成長させる事をいいます。

一方で

自己肯定は出来ない事を出来るといい、自分には才能がある、素質があると思い込み、〜があれば出来る、と努力をせずただ可能性の中で生きている事を言います。

そんな自己受容と自己肯定は仲良しこよしであり、いざとなれば自己受容を持っていたものが、耐えきれず可能性の中で生きる自己肯定になる事だってある。

だいぶ脱線しすぎですが、要は未来を予測してもそれで何らかの影響を与えるのかと言われれば、確かにメンタルのほう揺れてしまいますが、それに引けないほどの信念を持っていれば動揺する事なんてないのです。

私の信念=座右の銘は「意思あるところに道は拓ける」とリンカーン大統領の名言ですが、この座右の銘はたとえどんなに不可能であると他人から言われても、自分は絶対に他人の言葉で曲げられず真っ直ぐに意思を貫く、とカッコいいですがその道はどんなことが起こるか分からない、なんせ自分で貫いているので他人から振り回されずに生きて行くという事、結果的に嫌われる選択肢を選ばざるを得なくなり、他人から非難されようが構わない人ならいいのですが、嫌われたくない人が大半なのでその避難に耐えられるか。そもそも行動力がなければこの「意思あるところに道は拓ける」という言葉通りに行くのは厳しいのです。やっぱり社会の歯車として思考停止をしルーティンワークをしていればよかった。と後悔をしつつも自分を変えるにはそれなりの代償が必要なのです。

リスクを取らずに安定した供給を得られることができれば…、それは理想、つまり可能性の中に生きていること。どの行動にもリスクを伴うのです。空に閉じこもって安息していても、現実を受け入れて行動をしなければ何も変わりません。

うーんどうも納得いかないです。希望は見える見えないにかかわらず、気がすることなのでそこに気にすることはないですね。

異常ですではー

投稿者:

arumaT_UT

趣味ブログ

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