踏ん張りどき

とりあえず学校に行くのはやめておく。
近況は以上()

と言うのは冗談で、進路を間違えた人の末路は最悪な人生を辿るとは言えない。必ずしもどこかに希望があるはず。こんなどこにでもいる人が一回の大失態で人生が破滅に及ぼすとは、それはいつも自分自身が選択してきた道。

他人にどうこうできるはずもない、もちろん自分で軌道修正とやらをしなければ人生は真っ逆さまだ

これは自分の問題であり、他人が解決できる問題ではない。当たり前であるが、自分に甘かったつけが回ってきたのだろう。今まで甘えてきたぶん、楽してきた分、その分の楽が苦に変わり降りかかってきた。

今まで回避してきたものがホーミング弾で、こっちに向かってきている。

そこであなたはどうするのか
  • →回避する
  • 当たる(ゲームオーバー)
  • 必殺技を使う

あなたはギリギリ回避しました。ですが、状況は変わりません。またあなたを追従してきました。
あなたは…

  • 回避する
  • 当たる(ゲームオーバー)
  • 必殺技を使うあなたは今まで甘えてきたので使えません

悩んでいる暇はありません。
あなたはホーミング弾に当たってしまいました。ゲームオーバー(人生の)です。

と言った感じで危機が襲いかかってきたのを回避し続けてきた人は、直面する現実に絶望し立ち直れずに地の底(墜落)についてしまう。

こうなる前に手を打たなければ、のちの祭り。そうして地底の人間になり這い上がることがほぼ不可能な状況になってしまう。こう言う未来が見たくなくても見えてしまい、現実を見て嫌気がさして殻に閉じこもりたくなる。しかし、絶対に希望はあるはず。絶望の底から差してくる微かな光に気付いていない、そして気づけないのである。もしくは気付いてもどうやって光に到達すればいいのか分からない。

そう言う人が大半であると思う。周りが幸せに満ち溢れていて、私だけは暗黒のように真っ暗な人生を歩んでいる。そう思うのも無理はない。引き籠っていれば誰だって鬱になる。殻に閉じこもっていれば、誰からも干渉してくる人はいない、しかし、本当の敵は自分自身の中にある正反対の自分だ。その自分自身が自分を苦しめる最大の要因である。

とまぁ日々の鬱憤を晴らそうと思いまして、自分自身が首を絞めていることに気づくことができてもそれを止める方法無意識から意識するように心がければまあまあ精神状態はマシになります。

気づく事で大きな一歩に繋がりのちの人生にも影響を与える、と当たり前ですが、時間は残酷に過ぎて行きます。早く軌道修正することに越したことはないですが、挫折すると精神状態が最も不安定なので誰かの助けなしでは復帰は難しいです。すぐに切り替えできる人や、楽観的に捉え過ぎたことは気にしない人などは立ち直りが早いですが、大抵は立ち直ることができず、悲観的に捉えて「もうだめだ」と思ってしまうが大半。

まあ、結局は自分がどうにかしなければならないと言う強いストレスに押し潰されてしまう。この経験が自分にとっては前に進むための成長の糧としてとらえ、現状をより良い状態にするために突き進む。これができれば苦はしません。だから頑張ろう。今は踏ん張り時です。

楽は苦の種、苦は楽の種。

以上ですではー

評価の数字

評価の数が目に見えていると、人はその記事が何なのか気にする事なく興味に惹かれるだろう。どうしてこんなにいいねやスキされているのだろうと疑問に思う事は少なからず私に限らない。

何のタネも仕掛けもないこの変哲なものが、あるいは文章が。

何故他人のこれが評価されず、そうでもない他人のものが評価されるのか。私はこっちに価値がある。そう思うのは価値観の違いで頭では理解できても納得し難い。これが評価されないと言うのはどう言うことかと尋ねたくなる

本当に才能あふれる作品であれば評価に見合ったいいねがされるが、そんな何の価値のない、これがどんな意味を持つのかは人それぞれだが、異常なほどに過大評価されているものがある。

どこにでもありそうなもの、一見価値がなさそうなもの、意味不明なものまで多種多様で様々である。

これが大多数の目に触れ、たくさんの共感を買う。
これをいわゆる「バズる」と言うのだが、私はこう言う言葉をあまり好きになれない。若者言葉と言えばいいのか。頑固すぎるが故、若者によって生み出された言葉をあまり好きになれない。何故好きになれないのかと言うと、「スノッブ効果」が働いているからだと。

まあ、流行を好きになれないのもそれが原因でしょう。

いろんなバイアスが沢山ある。人間の特性を知る上でバイアスを知っておけば何かと役に立つことがある。

とバイアスを知っておけば何かと便利だと思う。歯止めが効くので

以上ですでは〜d( ̄  ̄)

行動力がない

一週間ほど更新していませんが私は大丈夫です()

いいえ、ぜんぜんメンタルのほうは不安定でした。家庭から引きこもりである事は承知でその現実に向かって何らかの行動をしてれば咎められる事はなかったと思いますが…

私は何も行動していません。面接は一回で終わりその後は自堕落。それは怒りますね。趣味に没頭して現実逃避していた常日頃。

わかっているのに実行に移せない。同じ経験をしたくないと言わんばかりにルーティンワークの仕事を断ろうとする。誰でも出来る仕事を任されていたあの時期を思い出すともうやりたくない考えるようになる。工場作業員。これは自分の存在意義が問われるほどつまらない仕事だ。

毎日が同じことの繰り返しで何一つ楽しくなかった。何でこんな簡単なことを任されるのだろう。慣れて仕舞えばもう地獄のようにつまらなくなる。やりがいがなさすぎるルーティンワークは辞めた方が良い。少なくとも日常に刺激(スパイス)が欲しい人にとってはルーティンワークは地獄だ。

まあ、今となってはあのまま正社員で働いていた方が幸せだったのかわからない。けれど、今は不幸である事は変わりない。何も所属していない社会からの疎外感。負のスパイラルに陥る事は簡単だ。

何とかするために何でも良いので、仕事が欲しいと飢える。どんな雑務でも行うと。しかし冷静に、冷静に考えればこれも間違った選択肢なのではないかと。慎重にかつ迅速に再就職するのは、よほど運が良い人でなければできません。

私には知り合いはいるも頼りになりそうかというとそういうに疎そうな人で何となくで察して相談はしていないですが、やはり誰かにSOSを送らなければ伝わりません。今の状況を笑われる心配は、社会的な観点から見て心配でありますが、友人はあなたのことに真剣に向き合って考えてくれると思いますが…そもそも私には行動力が欠如しているため、なかなか行動に移せないのです。

行動力。コミュニケーション能力。

最も大事なのは行動力です。行動しなければ何にも始まらない。耳にタンコブができるくらい聞いているとわかっています。わかっているのに出来ない。これが苦しいほどに苦しい。出来ない自分を自己肯定する道か墜ちるか、誰かの助けなしにはハードモードです。

…もう眠いので…

以上ですではー

練習

個人的な練習

はい、個人的にワードプレスのテスト()をしていきたいと思います。

まずこの<p>タグは今まで全然使って来なかったです。

このpってぶっちゃけなくても問題ないのですが、まあ問題なかったです()。

そしてこの見出しを見てください。

  • Picture
  • Music
  • こういった行為も前まで全然活用して来なかったので、なるべく使いたいですが…まあ頑張りましょう

    A

    Aとは一体何のためにどう…


    B

    次にbとはどういう性質なのか…


    C

    cの詳細

    思いましたがこれってかなり苦労しますね…。慣れてないと難しいなぁ。

    反応しないものもあって、言うことを聞いてくれないのがもどかしい気分です。

    ブロガーはただ文章を書くだけじゃなくて、読者に見せやすくするための工夫をされていて、本当にプロと素人では出来が全然違いますね。

    何となく雰囲気だけは掴めたのでここまでにしときましょう。またいつか…使う機会があれば是非(使わない気満々)

    以上です。ではー

    一番した

    ハマりすぎ

    dmmのゲームにハマりすぎて、抜け出せないっ!

    それでdmm以外にも禁断のアダルトな方へと進んだファンザゲームの方へと突き進んでやめられなくなっている。

    私がやってきたゲームは。要塞少女、ハニーブレイド2、Attack on moe、巨神と誓女、電脳天使ジブリール、オトギフロンティア、デタリキZ、御城プロジェクト、マジカミ、Dead or Arrive Xtreme venus vacation、トウキョウ・ネクロです。やりすぎぃ。

    ブラウザでできるゲームが手頃なので、ブラウザゲームしかやりませんが、やっている最中pcがダウンロードの処理等を頑張ってくれたおかげか、冷却ファンがうなり上げてpcを必死に冷却しようとしているのが触覚から聴覚まで伝わってきた。そんな事はいいとして、

    私がさっき述べた中で印象に残ったのは、巨神と誓女ですね。このブラウザゲーム他と類を見ないようなシステムでオート戦闘はありがたいことに、それ以上にゲームシステム面が他と段違いで、何が違うかというと世界観が他のゲームと比べて引き込まれるというか、オープニングも素晴らしく卓越されていて一気に引き摺り込まれましたね。ファンザゲームにきてからチュートリアルからhシーンが最初に盛り込まれているのは、早漏すぎると思いますがまあそういうシーンがメインでもあり物語もメインということを示したいのでしょう。

    hシーンの後に何気ない顔で戦闘に参加したり、もはやhすることが当たり前と考えている世界もありましたし、hして謎のパワーが漲ってきたりとエロは世界を救うと言わんばかりで、私は日本に生まれて良かったと同時に羞恥心が襲っては、こなかったです。というか、全然hシーンで全然勃ちませんでした()生身であれば勃ってるんでしょうが、第三者視点から傍観していると笑えてくるんですよね。

    hってどんな感じなのかわからない故に経験をしていないことを恥と思っていない人にとっては気持ちいいことなのだと頭ではわかっているのですが、体験したことがないのであまり実感が湧いてこないという点も問題でしょう。エロはむしろ必要なのです。必要性ありありでもっと知る必要がありそうですね(変態)私は普通のhより異常性癖の丸呑みフェチの方が実感湧かないと思いますが、妄想で事足りているんですよぅ。hshsするのは異常性へきの方ですが、現実のhと異常性癖で抜くのとでは、私は異常性癖の方が、抜けやすいんですよね。と喋りすぎてしまいました。あまりに羞恥心に欠けた発言でドン引きレベルですが、私は正常です。

    それで、もう一つおすすめなのが、attack on moe ですね。まあクリックしたりしなかったりそれは従来の放置ゲーにもありますが、このゲームはボスであるギガントガール(巨大女)を倒すことによってその子を最終的に身ぐるみを剥がしていく(?)ゲームですが、シンプルながら私はこういうゲームが好きです。徐々に増えて行く楽しみを味わうのが好きなんでしょうか。

    素晴らしいゲームばかりで、こんな素晴らしいゲームを知らずに過ごしていたことが損でした。まだまだ気になるゲームがたくさんあるので発掘したいですね。

    明日は面接なので、自己pr頑張らないとです

    以上ですではー

    若年

    イラスト3
     イラスト4

    たくさん時間を持て余しているダメ人間。面接を控えているという、テストが明日と思うくらいのストレス。面接なんてもう一生したくなかったけどやらざるを得ない。引き篭りっぱなしほど恥ずかしいものはないが…。何の事情もなしに引き篭るのは自分が生きている意味を自分で考えてしまうので、それを考えないように、趣味に打ち込む。

    けれど…世の中の人は汗水垂らして働いているのに、私は家でだらだらのんびりと過ごしているのは罪深すぎると考えすぎだと思うが、疎外感から脱却した暁にはとても充実する毎日を送れるだろうなと、考えてしまう。

    圧倒的社会的地位の低い奴には人権がないというほどの扱いを受ける、というのは幻想だと思うが、実際何十マンもの人が若年無業者何だそう。私も早くこのニートから脱却をしたい。ここは、マイナス思考の苗床だ。ここに来たものは必ず不幸になってしまう。負のスパイラルの連続によりどんどん状況も悪化する。自分から動き出さなければ一生血のそこで暮らすことになる恐ろしい場所だ。

    眠い、明日は面接だぁ。。面接なんかしなくても人工知能の人間と話して平等にさせたい。生身の人間と人工知能の人間ではどちらが面接しやすいだろうか。私は人間が作ったプログラムと面接したい。オンライン面談も普通の面接も全然変わらない。なら、人工知能を搭載したロボットと人間と話せばいいではないか。という暴論やめておき、今後面接時には人工知能と面接とかになればいいなぁと妄想にふけるだけでした

    異常ですではー

    ムダいい

    履歴書って何でこんなめんどくさいんですか…。

    一番の難関と言っていい程の志望動機が思いつかないよぉ。企業に対して私がお役に立てるかどうかなんて入ってみなければ分からないでしょう!というのが本音ですが、まあそのための資格があるんでしょうけど、やっぱり何もない状態から自分を表現するのって難しい。

    言語化能力が乏しすぎるがあまり言葉で表現すると言ったことに慣れていないため、面接では不安の何のその。相手(貴社)を知る前にまず自分自身を知っておかなければ話になりません。冗談きついゆ。頭が悪いが、開放性に長けておりあらゆる分野に対して興味をもち、興味を持ったものに対してはとことん追求し、その中で将来自分が使っていくスキルに実を結ぶのか取捨選択をしていき、最終的にその分野の深く狭いところまで探求する。と言ったことなのか。

    自分の内面を一番わかっているのは自分自身、と言いたいけど他人からどういうふうにみられているかも重要ですし、私は他人から見てこうなのだろうと予測はするけど、実際にどういうふうに見られているのか分からない。自分に自信を持て!

    自信を失ったものが行き着く先は虚無。自分とは一体何なんだろう、人間とはそもそもなぜこんなめんどくさいのだろう。社会が私をそうさせた。そうならざるを得ない。言葉で表現できないほど自分に失望する。そう、この言葉で表現できない、今まさに志望動機とは一体なぜ存在するのだろうと。企業に対しての自分のアピール。自分がどういう人生を送ってきたか。私があなたにできること。そういうことを伝えるために、

    人間社会に生まれたからには、従わざるを得ない。どうこの世界を生き抜くかを学んだ方がいいのではないか。科目に「この世界を最低限生き抜くための方法」とかっていうのもあってもいいのではないか。自分でお金を稼ぐ事に焦点を当てる、自給自足で農業をする、この社会は非常にいきにくい。自ら夢に向かって突き進む子供が、大人になって初めて知らされる社会の残酷さ。子供の時はいじめをされない限り自殺なんて考えもしなかっただろう。心は子供、体は大人の人が精神をやられ鬱病に、当然でしょう。夢を抱いていたモノが儚く砕き散る姿を見れば誰だって、地にぬたうち回るでしょう。社会の法則そのもの人間が作った法により裁かれ自ら犯した罪を懺悔する。

    社会に押し潰されて圧死される人がほとんど、世の中を知らない若者はその社会の圧倒に耐えられるか。はあ、自分の夢と離れて行くほど失望する、自分のやりたいことが出来ないことほど辛い事は無い。選択肢が多すぎるがあまり不正解の道を突き進んでしまった人は、それをやり直すことが出来ないのかと懇願するが、それはもう出来ない、と死刑宣告を言われたかのような感覚に心が突き刺さる。取り返しのつかないことを、過去の過ちを、今なら改心して過去に遡って運命を変えたい。だがそれは出来ない。そんな都合のいいことが出来たら皆過去に遡ってやり直して幸せを掴み取る。そんなセーブ場所もない「人生ゲーム」はどれほど過酷なゲームでしょう。

    世の中の厳しさを知らずに生きた社会人ほど陥りやすい地獄。そう、ここは「地獄」でもあり「天国」
    なのかもしれない。天国に行ける人は、ごく少数で強運、したがって地獄は簡単に落ちることができる。
    まるで奈落の底のように、一度ハマったらうつ病という病気にも抵抗し、自分自身を保っている事が難しいほどのデバフをくらい、混乱に陥る。社会敵身分が低くなり、自分には価値があるのだろうかと思い込む。そうやって自分で自傷してしまうようになり最終的に身を投げる。

    自分一人に専用の人生コンサルタントが一人着いてもらいたいものだ。しかし自分がどうなるかは自分次第なのは自業自得である。

    結局何が言いたかったんだ!今私は、、、私に失望している。

    自ら招いた状況を自己否定するんじゃない。自己受容をしよう。鬱々ライフですね(笑)

    (自分が)異常ですではー

    更生

    10秒ドローイング
    10秒ドローイング1

    仕事を最後にした日から二週間あまりが立ってようやく更生の緒が見えた、ような気がする。
    そもそも未来を予測することなんて不可能なんだから、4ヶ月後は就職につけているだろうか?とか、この会社を応募しようと思うけど自分の実力じゃあ叶わない、とか。結局不安になったところで、自分の行動を抑止してしまう自分がいつも邪魔をしてくるので、失敗したく無い!という気持ちが強いあまり行動できなくなってしまう事を認知する事。

    この認知した後にこのままではいけない…何とかしなければ…と焦りを覚えてしまいますが、焦れば焦るほど状況は悪化して行きます。

    例えば出勤時間ギリギリに起きて、もう遅刻する!と急いで車に乗り走らせましたが、生憎の渋滞で、お手上げ状態。そんな時に冷静に会社に連絡をすることができればいいのですが、その反面怒られるのが怖いと思い電話するのも億劫になる気持ちは誰だって当てはまります。

    間に合っていれば怒られる事なんてないのに…どうして今日に限って渋滞なんだよう!と怒鳴り散らしアクセルを踏む力はどんどん強くなっていき最終的に大きな事故につながってしまったら、もとも子もありません。間に合いたい、少しでも可能性を信じて車を走らせる。そう、可能性を信じる。

    この可能性を信じて車を走らせる事の何が悪いのか、それは素直に出来ない事を出来る!と自然に肯定している自分がいるせいなのです。出来ない事を素直に受け入れその上でどのように行動すれば過ちを逃れらるか。「自己受容」は現実を受け止め次に失敗しないようにするために行動を改め、それを繰り返して行く事で前の自分より成長させる事をいいます。

    一方で

    自己肯定は出来ない事を出来るといい、自分には才能がある、素質があると思い込み、〜があれば出来る、と努力をせずただ可能性の中で生きている事を言います。

    そんな自己受容と自己肯定は仲良しこよしであり、いざとなれば自己受容を持っていたものが、耐えきれず可能性の中で生きる自己肯定になる事だってある。

    だいぶ脱線しすぎですが、要は未来を予測してもそれで何らかの影響を与えるのかと言われれば、確かにメンタルのほう揺れてしまいますが、それに引けないほどの信念を持っていれば動揺する事なんてないのです。

    私の信念=座右の銘は「意思あるところに道は拓ける」とリンカーン大統領の名言ですが、この座右の銘はたとえどんなに不可能であると他人から言われても、自分は絶対に他人の言葉で曲げられず真っ直ぐに意思を貫く、とカッコいいですがその道はどんなことが起こるか分からない、なんせ自分で貫いているので他人から振り回されずに生きて行くという事、結果的に嫌われる選択肢を選ばざるを得なくなり、他人から非難されようが構わない人ならいいのですが、嫌われたくない人が大半なのでその避難に耐えられるか。そもそも行動力がなければこの「意思あるところに道は拓ける」という言葉通りに行くのは厳しいのです。やっぱり社会の歯車として思考停止をしルーティンワークをしていればよかった。と後悔をしつつも自分を変えるにはそれなりの代償が必要なのです。

    リスクを取らずに安定した供給を得られることができれば…、それは理想、つまり可能性の中に生きていること。どの行動にもリスクを伴うのです。空に閉じこもって安息していても、現実を受け入れて行動をしなければ何も変わりません。

    うーんどうも納得いかないです。希望は見える見えないにかかわらず、気がすることなのでそこに気にすることはないですね。

    異常ですではー